【由伸の孤闘 ラストシーズンの真実<上>】由伸巨人が終幕した。在任3年目の今季もチームは優勝を果たせず、高橋由伸監督(43)は指揮官の座を退いた。契約最終年の今季は「勝利」と「育成」というテーマのはざまで、苦悩の連続だった背番号24。青年監督はもがき続けるなかで何を成そうとし、何を成せなかったのか…。球団の動きとともに、そのラストシーズンを振り返る。

 指揮官はこの結末をきっと予見していただろう。由伸監督が自ら身を引く決断を下したのは9月下旬。その理由は「勝てなかったから」だった。契約最終年の今季、球団に課せられたのは「勝利と育成」の両立。ただ「勝てない」ことは春から予想できた。無論、ハナから優勝を諦めていたわけではない。ただ「勝てる戦力」は整っていないと感じていたはずだ。

 スカウトから“即戦力”と説明されたドラフト1位の鍬原は契約早々に右ヒジを疲労骨折していることが判明した。同2位の岸田はキャンプ中に右肩不安で離脱。補強面でも“編成のプロ”ではない鹿取GMが苦戦している状況も早くから伝わってきた。求めていた勝ちパターンを任せられるリリーフ投手、本塁打を計算できる主砲はそれぞれ野上、ゲレーロではない。

 それでも監督である自分は編成面に口を出すべきではない、との信念を貫いた。チーム編成はフロントが数年先を見て中長期的な視野で行っていくもの。現場監督はあくまで与えられた戦力で勝利を目指す。その上で「状況を踏まえてしっかりとしたチームをつくる。勝ちながらチーム状況を好転させていく」ことを理想としていた。とはいえ、そんな“理想”も結局は信頼できるパートナーがフロントにいなければ実現できない。指揮官の孤立が露見したのは、7月中旬のジャイアンツ球場。ゲレーロが長引くファーム生活に不満を口にし、フロントがセッティングした由伸監督との面談を拒否した。

 本来であればフロント責任者が矢面に立ち、監督に不始末をわびて直ちに事態収拾に動くべきところ。ところが鹿取GMはその場にいながら、ジャイアンツ球場の裏口に車を回し、報道陣を避けるように監督を残して無言で球場を出た。「チームだけでなく、組織として強くありたいんだよ」という由伸監督の思いを無視する行動だった。

 指揮官とフロントのコミュニケーション不全は結局、最後まで改善されなかった。それでも不満を口にしなかったのは意地でしかない。「俺が辞めたって、ジャイアンツがなくなるわけじゃない。自分の立場を考えている人が監督をやっちゃダメでしょ」。球団のバックアップを得られなくても、与えられたテーマは最後まで放棄しなかった。岡本、吉川尚、田中俊、大城…。由伸監督が地位に恋々とし、勝利だけを追い求めていれば、おそらく彼らは芽を出していなかったに違いない。

 ただ自ら明確なメッセージを発信してこなかったことで、ファンには最後まで“由伸の野球”が見えにくかったのも事実。それは身内の選手、コーチ陣にとっても同じだった――。