【取材のウラ側 現場ノート】良き仲間、恩師の存在は大きいと思い知らされた。BCリーグ栃木の村田修一内野手(37)の引退試合の舞台となった小山運動公園野球場に巨大な生花ボードが登場した。送り主は巨人選手を中心に総勢27人の賛同者。試合後には届けられたメッセージも読み上げられた。

 泣けたのは同級生代表の日本ハム・矢野謙次、実松一成の言葉だ。「いろいろなことを言われて、つらく、そして悔しかったと思います。でもそんな男に元チームメートから、これだけの賛同は絶対に集まりません。これが俺たちの気持ちです」。村田にしつこく付きまとった噂や悪評を、彼らも無視できなかったのだ。

 村田の涙がこぼれたのは大矢明彦元横浜ベイスターズ監督(70)のあいさつだった。07年からの3年間、指揮官として村田に向き合った。「監督を引き受けた際、私は日本人の4番を出したいと考えていた。もうひとつ、全日本の4番をつかみ取ってくれと約束した。村田は私の夢を見事にかなえてくれた」。当時の担当記者だった私にとっても、2人の絆がこれほど強いとは意外だった。

 改めて村田の話を聞くと大矢氏は「我々の世界は続けたくても話がないことにはどうにもならない」と冷静だった。一方では選手仲間と同じくNPB復帰の障壁ともなったネガティブイメージの拡大には心を痛めていた。「そもそも4番なんて我が強くないと務まらない。誰が何を言っているか知らないが、俺はずっと村田が好きだったね。生意気なぐらいでいいんだよ。事実、あいつはチームを支えてくれた。大黒柱だったよ」。横浜時代にまでさかのぼって村田のすべてを肯定する大矢氏の言葉はとてつもなく温かかった。

 涙をいっぱいにためて大矢氏の来訪に感謝した村田は、晴れた笑顔で「何かがすっと流れていきましたね」。引退スピーチも素晴らしかった。となれば、記者も余計なことはもう書くまい。(元横浜担当・堀江祥天)