松井をゴジラに育てた星稜・山下監督の「チ-ムプレー」

2018年08月31日 11時00分

松井秀喜(後方)を育てた星稜・山下監督

【越智正典 ネット裏】「本気の夏 100回」。能登の門前高の遊撃手、トップバッターで駒沢大に進んだ山下智茂は補欠のきびしさを学び、教員として金沢の星稜高に赴任すると学校の許可をもらって校舎のかげにネット張りの弓の的場を作り、放課後たったひとりでノックを打ち込んだ。山下はいずれ野球部顧問、監督に就任することになっていた。

 父親は大きな外国航路の船会社の社員で、彼を門前町に住む母親(山下監督の祖母)に預けた。彼は横浜や神戸などのオシャレと、素朴な日々と我慢を学んできたといえる。…日が暮れ、妹さんと一緒に暮らしている東金沢の下宿に帰る彼を見て町の人々は噂した。

「今度お見えになった先生はどうかしていなさる。バットを握ったままお帰りになる」。毎日のノック練習でマメが潰れ掌は血だらけで血がかたまっていた。妹さんがお湯をわかし、兄の手を容器に漬けると、やっとバットが離れた。

 翌年監督に就任したがグラウンドがなかった。校舎の下にビニールハウスの練習場を作ってもらった。せまかったが山下の工夫がこめられていて、攻守一順すると、選手はいい汗を流せた。その翌年、学校から遠くないところにグラウンドが出来た。いまの丘の上のグラウンドではない。ノックを打ち込むと打球を追った選手が土のなかに沈んで行った。実はハスの畑が整備されていなかったのだ。山下は朝はやく出校し、ひる休みも土を盛った一輪車を押してグラウンドに向かっていた。

 当時、北陸は練習を終えて帰宅する選手には特に鉄道の乗り継ぎが不便だった。駅での待ち合わせ時間が長い。山下は練習が終わると選手に言った。

「ご苦労さん。寄ってけよ」。夫人がライスカレーを作っている。何種類かのルーをミックスした味は格別に美味である。祖母が門前町からお米や野菜を送ってくる。

 あるとき、練習を見に行った私は山下にたずねた。「今日もカレーですか」。山下は言った。

「教員の給料では毎日はムリです。それに選手を甘やかしてはいけません」。そう言っているのに練習が終わると選手に言うのだった。

「ご苦労さん。寄ってけよ」。星稜ナインは山下家のチームプレーのライスカレーで育った。松井秀喜選手が入学入部して来たときは山下野球の“総決算”といえた。いや新しい出発だったと言ったほうがよい。

 松井が卒業するとき山下はおつきあいがあって歌ったが、大きな声ではなく、小さな声で呟くように<男なら、男ならどうせやるならでっかいことやろうよ>。勿論、松井はその席にいなかったがゴジラくんの激励歌であったのだろう。

 夫人は朝ごはんを食べないで登校する選手が多いのを知ると、おにぎりを200個余も作った。始業前の教室にそっととどけていた。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)