「自分の野球人生。選択してきたことに悔いはない」。BCリーグ・栃木でプレーする村田修一内野手(37)が1日、事実上今季限りでの現役引退を表明した。その言葉はすがすがしかったが、やはり納得はできない。実力的にやれることは、現役の選手たちも認めるところ。なのになぜ、こんな状況に追い込まれてしまったのか。

 各球団が一斉に「若返り」にかじを切ったことが、37歳のベテランには高いハードルとなった。だが今回の事態を招いたのは、やはり巨人の誤算、失策だったように思う。

 鹿取GMは自由契約を告げた直後に「彼ならまだ十分やれる。(残り135本に迫った)2000安打も打てる。ただチームの若返りを進める方針の下(巨人では)多く打席数を与えるのは難しい。村田君の選択肢を広げることが、せめてもの誠意と考えた」と説明した。つまり「どこかが手を挙げるだろう」との根拠のない見通しでクビを切ったということだ。

 チームに残せなくとも、事前に話し合いを重ねることは不可能だったか。他球団の編成が進む以前に交渉を真剣に持ちかけていたか。村田は請われて巨人へやってきた。3連覇に貢献した功労者だ。引き受け手が見当たらない可能性があるなら、放出を思いとどまる選択は取れなかったか。

 村田ほどの選手が、ここまで宙に浮くのは不自然。だから素性を知らない球界関係者やファンは「何か“裏”があるのでは」と踏んだ。こんな“風評”も、巨人には即座に否定してほしかった。「素行不良」で、外様初の巨人選手会長など務まらない。ネット上にあふれた臆測の数々は、村田の家族も苦しめた。彼は息子に「オレが見て傷つくようなものを、お前らが見なくていいんだ」と声をかけたという。

「FAで巨人を選んだ以上は覚悟の上だろう」との声も聞く。だがアフターフォローができるのも、巨人の強みではなかったか。こんな末路では、今後は移籍に二の足を踏む他球団の選手も増えるだろう。

 もうひとつだけ、DeNA(村田在籍時は横浜ベイスターズ)とそのファンに対しても言いたい。村田が横浜に「砂をかけて出ていった」というのは違う。むしろ、ハマスタ最後の試合で出ていけとばかりに家族が乗り込む車へ「卵を投げつけた」のはベイスターズのファンの方だ。球団も勝利に飢えていた村田に希望の道筋を提示できなかった。当時、加地社長(故人)は「出るべきだ」と背中を押したほどだ。

 九州出身の村田は、今もハマスタからほど近くに自宅を構える。千客万来の港町。たとえ戦力と計算できなくとも、古巣だけには受け入れる度量を見せてほしかった。

(09年横浜、10年~巨人担当・堀江祥天)