猛虎の血脈は永遠に引き継がれていく。阪神で3度の監督を務め、2月3日に脳梗塞のため91歳で他界した吉田義男氏の「お別れの会」が25日、大阪市内のホテルで行われた。タイガースを象徴する黄色の花でアレンジされた祭壇を前に、藤川球児監督(44)や岡田彰布オーナー付顧問(67)らが献花。弔辞をささげたまな弟子の岡田顧問は、守りから攻めるという「吉田イズム」の継承を誓った。
岡田顧問は体調不良の中、声を振り絞って恩師への感謝を述べた。
「『守りで攻めろ』と言われたのは吉田さんが初めて。(1985年の)吉田さん以来の日本一を(2023年に)監督として成し遂げられたのは、当たり前のことを当たり前にやるという『吉田イズム』を学ばせていただいたおかげ。吉田さんは球団一番の功労者」
吉田2次政権となった85年を控えた84年オフ、現役時代の岡田顧問は外野から二塁へのコンバートを打診され、即諾。二遊間コンビを組んだ同じく当時現役の平田勝男二軍監督と徹底的にディフェンスをたたき込まれた。守備からリズムを作り、85年シーズンは157安打、打率3割4分2厘、35本塁打、101打点とキャリアハイの成績を残し、阪神史上初の日本一に貢献した。
そして時を経て岡田監督、平田ヘッドのまな弟子コンビは05年のリーグ優勝、23年の日本一を達成してきた。その中でも岡田第1次政権2年目のオフ、それまで6年で4勝だった選手時代の藤川監督を7回の男に指名したことは象徴的だった。
7回以降の3イニングを「JFK(ジェフ・ウィリアムス、藤川、久保田智之)」の鉄壁の救援トリオで守り切るスタイル確立。藤川監督は当時のNPBタイ記録となる80試合に登板すると7勝46ホールド、防御率1・36というキャリアハイをたたき出し人生を変えた。ディフェンスから攻める野球は確実に受け継がれてきた。
吉田氏の訃報に触れ「先輩方がつくり上げた伝統を、私たちが責任を持って受け継ぎ、また次の世代につないでいきたい」と語った藤川監督も「吉田イズム」を理解している。90周年の阪神の歴史の中で吉田義男氏は91歳の人生を全うした。虎の歴史は吉田氏が歩んた足跡に等しい。イズムを引き継ぐ藤川監督が球団史上3人目の日本一監督になることを、吉田氏も天国から見守っている。













