【球界こぼれ話】今月初旬に日本ハムの台湾遠征に同行した際、現地で懐かしい顔に出会った。2002年から15年までオリックス、阪神で活躍した平野恵一氏(45)である。
同氏は現役引退後、阪神のコーチを経て22年に台湾プロ野球・中信のコーチに就任。23年オフに同球団の監督に昇格すると、昨季は指揮官1年目ながら台湾シリーズ制覇を成し遂げた。そんな実績があるからだろう。彼の名はすでに台湾球界で知れ渡り、現地メディアからは「優れた指導者の一人」と評されていた。異国で人知れず奮闘していたに違いない。
平野氏といえば、現役時代から努力で道を切り開いてきた印象が強い。個人的に思い出に残る出来事がある。彼が阪神からオリックスに出戻りした13年の宮古島春季キャンプでのことだ。
第1クールから猛練習を敢行。軽めの調整を終えて宿舎に戻るベテランを横目に若手選手らと連日、居残り練習に明け暮れていた。移籍1年目とはいえ、シーズン開幕まで先が長い中での精力的な動き。なぜそこまで自分を追い込むのか…。練習を終えた帰り道で本人を呼び止めると「僕の気持ち、聞いてくれますか?」。そう言って厳しい表情のまま思いの丈を語り始めた。
聞けば、本人は移籍直前まで長年レギュラーとして活躍していた阪神で骨をうずめる覚悟があったという。だが、その最中にチームはメジャー帰りの西岡剛、福留孝介の獲得調査を開始。補強が現実味を帯びると、両者とポジションがかぶる平野氏は事実上の「レギュラー剥奪」となり、移籍を余儀なくされる格好となった。その悔しい思いが新天地での猛練習につながっていた。
「プロの世界は常に競争です。でも、結果を残し続けてもレギュラーを奪われることがあることを実感しました。ここ(オリックス)でもポジション争いは大変だと思いますが、この悔しさはグラウンドで必ず返します」
そう自らを奮い立たせ、再起を誓っていた身長169センチの小兵選手が今では台湾王者のチームを率いている。言葉も文化も違う中での指導は苦難の連続だったはずだが、そんな環境下でも労力を惜しまず結果を残すあたりは彼の生きざまそのものだろう。
「たまには日本の野球だけじゃなく、台湾野球の取材にも来てください。いろいろと大変なこともありますが、もっといいチームをつくっていきますので」
近い将来の再会とともに、チーム躍進に向けて自信をのぞかせていた平野監督。彼の指導ぶりに今後も日本から注目していきたい。












