【平成球界裏面史 近鉄編91】平成16年(2004年)、自身が所属していた近鉄バファローズがオリックスとの合併により消滅。そんな中で巨人移籍1年目のタフィ・ローズは結果を残した。45本塁打を放ち、リーグをまたいで2年連続4度目の本塁打王、4年連続6度目のベストナインを獲得。最高の形で移籍2年目の平成17年(05年)を迎えたはずだった。

解雇後に浅草観光を楽しむミセリ一家(2005年4月)
解雇後に浅草観光を楽しむミセリ一家(2005年4月)

 立場としてはFA権取得を迎えたことにより外国人枠の適用外。近鉄時代の藤田義隆通訳に考案してもらった「狼主」(ローズ)という当て字で選手登録することまで検討した。そのまま巨人でプレーし野球人生を終える考えも持っていた。

 だが、平成17年(05年)はローズだけではなく、堀内巨人自体がガタガタだった。巨人に入団時点でメジャー通算41勝、35セーブ、56ホールドと実績のあったダン・ミセリを補強するも期待外れとなったことが、このシーズンの元凶だった。メジャー6球団からのオファーを断り、あえて新境地に臨んだはずの大物右腕だったが完全にダメ助っ人だった。

 目標は「50セーブでリーグ優勝に貢献」のはずだった。だが、キャンプ中からセットポジションでの投球に難が見つかるなど四苦八苦。体形も締まりがなく投内連系の動きも緩慢だった。クイックも苦手で、多くのスコアラーや評論家が盗塁を企図しやすいと分析した。最速158キロだったはずの直球も140キロ台前半程度。オープン戦で8試合に登板し、0勝1敗、防御率5.63と不安を残したまま本番を迎えることになった。

大勢の報道陣に囲まれる巨人・堀内恒夫監督(2005年8月)
大勢の報道陣に囲まれる巨人・堀内恒夫監督(2005年8月)

 そして、その不安は的中した。4月1日の広島との開幕戦(東京ドーム)でミセリは1点リードの9回に来日初登板。いきなりグレッグ・ラロッカにバックスクリーンへ同点本塁打を浴びた。続く前田智徳に安打され、代走・福地寿樹に初球から二盗を許す嫌な展開。トドメは緒方孝市に決勝2ランを献上し、3失点の黒星デビューとなった。

 さらに同5日の横浜戦では多村仁にサヨナラ打を喫し守護神から陥落。6日の同カードでは延長11回に巨人が1点リードした場面で、横浜ファンから「ミセリコール」が巻き起こる始末だった。7日の同カードでは5点ビハインドの6回に登板し1四球、1盗塁、1被本塁打を記録するなど1回3失点。登板した3試合全てで失点を重ねた。

 それでも契約に二軍行きを拒否できる条項があったため、首脳陣の説得を振り切ってミセリは一軍に帯同し続けた。こういった状況に関して、ローズは快く思ってはいなかった。メジャーでの実績はミセリが上。それでも、ローズは日本で着実に地位を築いてきた自負がある。被害妄想とまでは言わないが、白人大リーガーへの〝不条理な厚待遇〟が面白いわけはなかった。

(左から)ミセリ、ローズ、上原(2005年4月)
(左から)ミセリ、ローズ、上原(2005年4月)

 投手陣の不調でスタートからズッコケた結果、野手陣にストレスがたまっていたことは事実だ。ミセリの絶不調&二軍拒否が直接の原因ではないのだが、4月末にローズもとんでもない〝事件〟を起こしてしまうことになる。