【赤坂英一 赤ペン!!特別編】オリックス・入来祐作投手コーチの兄で、近鉄、広島、巨人、ヤクルトで投手として活躍した智さんが亡くなった。車の衝突事故によるもので、まだ55歳という若さだった。

 キャンプイン前日の1月31日、弟の入来コーチは智さん、父・喜門さんとともに、故郷の宮崎県都城市で母親の墓参りをした。入来コーチが自身のSNSに投稿した写真には、穏やかにほほ笑む智さんの顔も写っている。

 この日は母の命日で、智さんは実家のある都城市で暮らしていた。毎年、家族そろって母親の墓前に参り、翌日からのキャンプに向けて心身を引き締めることが、入来家の毎年恒例の行事だった。

 それからわずか10日後、同じ都城市内の交通事故で智さんが命を落としたとは、私もまだ信じられない。入来コーチの心中は察するに余りある。

 入来コーチは智さんを慕っていた。「僕は兄貴を尊敬してるんです」と以前、食事をしながらしみじみと話していたことを思い出す。

 入来コーチが小学校2年生で野球を始めたきっかけも、智さんにあった。5歳年上の智さんは地元の少年野球チーム・五十市(いそいち)タイガースの絶対のエース。当時は「兄貴の投げる試合を見ていて、打たれた場面が記憶にない」という。

「兄貴はとにかくカッコよかった。僕にとって、野球と言えば兄貴。いまでも憧れの存在です」

ロッテ・インカビリア(中)と乱闘になった入来智さん(1995年8月)
ロッテ・インカビリア(中)と乱闘になった入来智さん(1995年8月)

 入来コーチがそう話していた智さんは、いつも強気に内角を突くピッチングスタイルで知られていた。入来コーチ自身、巨人時代には阪神・アリアスと乱闘を演じているが、智さんも近鉄時代にロッテのインカビリアに死球を与えて殴られたという〝武勇伝〟がある。

 また歯に衣着せぬ性格で、近鉄ではそれが災いしてチームメートともみ合いを演じ、新聞沙汰になったこともあった。2001年に巨人からヤクルトに移籍すると「僕は巨人に復讐するためにヤクルトに来ました!」と大胆不敵な宣言。この年、キャリアハイの10勝をマークしている。

 そんな智さんのキャラクターを気に入っていたのが、ほかならぬ当時の巨人・長嶋監督だった。全セの監督を務めた01年オールスターに智さんを監督推薦で出場させ、弟・入来コーチと史上初の〝兄弟継投〟を実現。記念すべきマウンド上での兄弟のツーショットは、その後長い間、入来コーチがフェイスブックのカバー画像に使用していた。

 入来コーチに心中よりお悔やみを申し上げます。謹んで智さんのご冥福をお祈りします。