【石毛博史コラム 火消しは任せろ(20)】 阪神・星野仙一監督が怒るのは、ボールに対して負けてるようなプレーをしたとき。打者も攻めて見極めての見逃し三振ならいいけど、打つ気のない見逃しや投手ならどう見ても対戦を避けての四球だとすごい怒ってました。内野手の守備も攻めてのエラーはよくても待ってたらアウトにしてもダメ。ボールに対して負けている。そこはすごく分かりやすかったし、メンタルの入れ方を教わりましたね。

 近鉄時代に理論を教わり、星野さんは精神を叩き込んでくれた。星野さんは野村克也さんの後に阪神で優勝し、楽天でも野村さんの後で優勝できたでしょう。IDプラス、メンタルが必要なんだということを中に入って目の当たりにしました。

 オーラが強くて監督を前にするとピリッとなるのは、長嶋茂雄さんと一緒です。佐々木恭介さんとか、梨田昌孝さんみたいに身近に感じるのではなく、監督業が合っていた人なんでしょう。常に勝つことばかり考え、試合に負けても気持ちでは負けない。闘将でした。

 驚いたのは選手の奥さんの誕生日に花を贈るところ。もらった奥さんも「この監督のために頑張りなさい」ってダンナのケツを叩くでしょう。思いついても実際にやってる人はいないし、実行するのはすごい。野球って将棋と同じで駒の配置と指し方は指し手によって変わってくる。適材適所、的確な場面で選手を使うことが上手な人だったですね。

 タテジマのユニホームを着て古巣の巨人と試合をする。自分を放出したからとか、そんな気持ちは全然ないですし、結果を出したいだけ。1つあったとしたら…まだ巨人に石井浩郎さんがいたんです。1996年オフ、交換トレードで僕が近鉄に行き、石井さんが巨人に行った。

 石井さんとは因縁があって、プロ2年目のジュニアオールスターの時に神宮で対戦し、バックスクリーンに同点3ランを打たれて引き分けで終わったんです。その2人が近鉄と巨人にトレードされ、その後にタテジマの僕と巨人ユニの石井さんが東京ドームで対戦するというのは、僕の中では“因縁の対決”という特別な思いがありました。抑えたからどうだというわけではないけど、東京ドームでホームラン打たれましたね(笑い)。

 引退後に会った時、石井さんが「いろいろ悪かったねえ」って言ってくれて「全然大丈夫ですよー」って。ケンカしていたわけじゃないし、お互い仕事のうえでトレードというのはあること。気持ち的にはその一言で解けたというのはありました。

 2003年、阪神での1年目は夏ごろに一軍に上がり、中継ぎや敗戦処理で登板。8月のロード中も結構投げて、そんな中の9月3日の広島球場での広島戦で僕に勝ちが付いた。プロ初勝利も広島球場だったし、最後も広島。1勝だけでもチームに貢献した証しになる。その年の阪神は18年ぶりの優勝を成し遂げます。