昭和のプロレス。四方山話

発掘した古いネガから思い出話を語る

あの猪木がこんな格好で!?

スポーツ2010年02月07日 14:31 | フォルダ : プロレス

関連キーワード :プロレスジャック・ブリスコ猪木

 先週、泥酔暴行事件を起こした朝青龍の引退騒動の最中、また昭和の名レスラーがひっそりと逝った。
元NWA世界ヘビー級王者のジャック・ブリスコさん。ブリスコさんは故ジャイアント馬場さんが日本人初のNWA世界王者になった時の相手として知られているが、私はアントニオ猪木に挑戦したUN選手権(1971年8月6日、愛知県体育館)が印象に残っている。
ブリスコさんとほぼ同年代の猪木との試合はスリリングで面白かった。
1本目を失った猪木が2本目にブリスコさんからフォールを奪ったジャーマンスープレックスはきれいな、まさに完璧なジャーマンだった。
私が見た猪木のジャーマンの中では、新日本プロレスを旗揚げしてからシーン・リーガンに決めた時と双璧を成すだろう。
残念ながらネットで猪木vsブリスコ戦の動画は見当たらなかったが、たしかDVDであるはず。是非、見てもらいたい試合のひとつだ。
謹んでご冥福をお祈りします。
 今回はアントニオ猪木のレアな写真を発見したので紹介しよう。
アントニオ猪木が試合をした格好といえば、ストロングスタイルの象徴ともいえる黒のショートタイツに黒いリングシューズだった。リングシューズの紐は白で、試合の度に新しいものと交換していたのは結構知られた話だろう。
デビューした頃は素足、日本プロレスで馬場さんとのBI砲で活躍し〝若獅子〟と呼ばれていた頃はオレンジ(イエローも見たような気もする)のショートタイツも好んで穿いていた。
引退するまで一貫していたのが、ヒザのサポーターを着けなかったこと(猪木の影響なのか藤波辰爾や長州力なども同様)。
そんな猪木が、ファンが「アッ!」と驚く格好で登場したことがある。
いつものようにコールされた猪木がガウンの紐をほどきパッと両手を挙げると、そこには黒のロングタイツを穿いた猪木が・・・。あの力道山スタイルだ。
      
1975年9月19日、千葉公園体育館 対ジャック・ルージョー戦
これは左足のウイルス性関節炎という病気でシリーズを開幕戦から欠場していた猪木の復帰戦。
試合当日の朝、主治医の菊屋橋病院・佐藤三蔵医学博士は猪木に「(大事をとって)サポーターを着けてやりなさい」と言ったそうだ。すると猪木は「ファンの人に不安を与えるし、出る以上サポーターははめられない」と返答した。
これが猪木のプロレスに対する〝美意識〟でありプライドなのだろう。
ロングタイツ越しに左膝がふくれて見えるのは、まだ包帯を巻いているためだろうか?
それを隠すためのロングタイツだったと推測される。


あっ、猪木のレアな写真というのはこれではありません。

〝美意識〟を持っていた猪木にもこんな格好で戦っていた過去が・・・。

あの猪木が田吾作スタイルだ!

        昭和40年(1965年)12月7日付け 本紙1面
テネシー州ナッシュビルでトニー・バイラージョンと戦かう若き日の猪木。
深紅と黄色のロングタイツでヒザ当ても深紅。当時の日系レスラーはみんなこのような、いわゆる田吾作スタイルだった。
11月12日にこの地で第1戦を行った猪木は「テネシーではこのタイツを穿かないと日本人として通用しないから・・・」と苦笑いしながら語っている。
猪木がテネシーで試合をしていた数カ月間の、まさに〝お宝〟写真といえるだろう。

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