横綱白鵬(31)が2日、自身のブログを更新し、7月31日に膵臓がんのため61歳で死去した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)をしのんだ。

 福井巡業を終えて帰京した白鵬は「大横綱・千代の富士」と題し、「北の湖前理事長の他界に続き、千代の富士・九重親方の突然の訃報を聞きました。偉大な昭和の大横綱が後を追うように亡くなったことは本当に悲しくて、寂しいです」と率直な気持ちを表した。

  入門した当時、体重が62キロしかなく、なかなか太ることができなかった白鵬は「千代の富士関の取り組みのビデオを観ました」という。

「小さい体で大きい力士をもろともせず投げ飛ばし、そして怪我を克服し、左前みつを取り一気に走る。あの相撲を見て衝撃を受けました」

 自身の右四つの型も、左前回しの型も「言葉は悪いですが、九重親方から盗んだといっても過言ではありません」と打ち明けている。

 初めて会話したのは2004年の北京・上海巡業の時だといい、1年後のラスベガス巡業でも会話をし「白鵬。もう少し体が出来たら強くなるぞ」と言われ、当初は「その言葉を疑いました」という。しかし、その後、大躍進できただけに「大横綱の目には疑いはなかったんだと思います」。

 11年、東日本大震災が起こった3月11日から3か月後、白鵬は九重親方と東北に行き「本当に人思いで、ものすごく責任感が強く、物事の切り替えが早く素晴らしい方だと思いました」と感銘を受けたという。

 また、昨年の九重親方の還暦土俵入りでは、太刀持ちを務め「あのビデオで観ていた、あの土俵入りを数十センチの近くの距離で見ることができてとても光栄に思っております」とつづった。

 最後に会ったのは今年の3月場所前だったそうで、稽古後の風呂上がりの時に一緒に撮った写真を掲載。「胸に大きな傷がありましたけど、写真を撮るとき隠しましたね。自分の弱いところは見せない。本当に横綱の中の横綱だとその時に確信いたしました。最後まで自分を貫くこと。引退した後でも横綱だったんだなと感じました」

  実は対談の企画が決まっていたといい「それが実現できなかったのが心残りのひとつです」とつづった白鵬。「千代の富士の前に千代の富士なし。千代の富士の後に千代の富士なし。悲しいです。親方 ありがとうございました」と最後に感謝の言葉を述べた。