突然の幕切れだ。大相撲の第69代横綱白鵬(36=宮城野)が現役を引退することとなり、角界内に衝撃が走った。秋場所は部屋に新型コロナウイルス感染者が出た影響で全休。千秋楽翌日の27日に、師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)を通じて日本相撲協会へ引退を申し出た。今後は相撲協会に残り「間垣親方」として後進の指導にあたるための手続きに入るが、電光石火にも見える引退劇の背後で、いったい何が起きていたのか? その舞台裏を徹底追跡した。


「最強横綱」が、ついに現役生活に終止符を打つことになった。自らの進退をかけて臨んだ名古屋場所では7場所ぶり45回目の優勝を達成。「これでまた進める」「あと1勝で横綱900勝。次の1勝を目指す」と現役続行に前向きな言葉を発する一方で「右ヒザがボロボロで言うことを聞かなかった」と体力の限界も口にしていた。

 実際には名古屋場所の結果にかかわらず、土俵に別れを告げる決意を固めていた。白鵬に近い関係者は「横綱は優勝してもしなくても、やめるつもりだった。名古屋場所の会場に家族やお世話になった人たちを呼んでいたのは(横綱として)最後の姿を見せるためだった」。愛知県体育館の客席には、紗代子夫人と子供たちのほか、有力後援者らの姿もあった。

 白鵬と師匠の宮城野親方は当初、秋場所の対戦相手を決める取組編成会議(10日)までに引退を発表するつもりだった。しかし、日本相撲協会の幹部の一人から「優勝した力士がやめるのはおかしい。秋場所には、どうしても出てもらう」と引退を〝却下〟されたという。

 連覇がかかる白鵬は秋場所の主役だった。新横綱照ノ富士(伊勢ヶ浜)とともに東西両横綱が並び立つことも大きな見どころとなっていた。秋場所が始まる前に引退されてしまっては、盛り上がりに水を差すことになりかねない…。こうした〝大人の事情〟に白鵬サイドは難色を示しながらも最終的に了承。しかし実際には、大横綱に15日間を取り切る気力も体力も残されてはいなかった。

 横綱自身、この2年間は常に「引き際」のタイミングを模索してきた。かねて「東京五輪まで現役続行」を公言。父・ムンフバト氏(故人)が1964年東京大会にレスリング選手として出場しており、2020年大会を現役力士として迎えて花道とする青写真を描いていた。昨年の年明けの時点で、師匠の宮城野親方も次のように語っている。

「(9月の)秋場所まではやらない。(7月の)名古屋場所が最後になる。力があるうちにやめないと。見ている人が『まだできる』と思っているくらいの時期にやめて〝さすがだね〟と思われたほうがいいですよ。力が落ちて続けても意味がない。それは本人(白鵬)も分かっている」

 ところが、想定外の事態が発生する。新型コロナウイルスの世界的な流行を受けて、同年3月に東京五輪の1年延期が決まったのだ。白鵬は「モチベーションもまた1年延びた」と気持ちを切り替えたが、やはり1年間の延期は長すぎた。7月場所から6場所連続で休場。古傷の右ヒザに2度もメスを入れた。

 主治医やトレーナーらの手厚いサポートを受けながら〝延命〟の努力を続け、ようやく出場にこぎつけたのが名古屋場所だった。本番3週間前の時点で階段を1段ずつしか下りられず、相撲を取り始めたのは直前になってから。場所中も患部にたまった水を何度も抜いた。全勝優勝の結果とは裏腹に、15日間を全うできたこと自体が奇跡に近かった。

 最終的に、現役引退の「Xデー」は協会サイドの意向と宮城野部屋のコロナ感染といった要素が複雑に絡み合い、秋場所後のタイミングとなった。ただ、大横綱にとっては〝誤差の範囲内〟にすぎなかったということだ。