誰にも愛され、何事にも真っすぐな人だった――。9日に70歳で急逝した大相撲の元横綱輪島大士(本名輪島博)さんに、全日本プロレスの名誉レフェリー・和田京平氏が哀悼の意を表した。

 輪島さんは1985年12月に日本相撲協会を退職した後、86年に故ジャイアント馬場さん率いる全日プロに入門。38歳にしてプロレスラーに転向した。「天然で陽性。誰からも好かれる真っすぐな人だった。素であんなに面白い人はいなかったね。練習嫌いなんて言われてたけどとんでもない。横綱まで上りつめて親方まで務めた人が、文句も言わず若い選手と一緒に練習してスパーリングで『かわいがり』を受けてるんだから頭が下がった。何事にも一生懸命な人だった」と和田氏は明かす。

 米国修行時代はホテルの部屋に炊飯器を持ち込んで自炊。洗濯物を天井のスプリンクラーにつるし、火災報知器が鳴って部屋中が水浸しになるなど、エピソードは尽きなかった。「(馬場夫人の)元子さんが米国でプロテインを渡したら、飲み方を知らず、食事だと思って夕食にひと袋(1キロ)スプーンで平らげちゃって。あれはおかしかったなあ」

“狂虎”タイガー・ジェット・シンとの国内デビュー戦(86年8月7日、石川・七尾市体育館)は日本テレビのスペシャル特番としてゴールデンタイムで放送された。「デビュー戦ですからね。もう二度とないでしょう。プロレス界では、ある意味『革命』だった」(和田氏)。その後はミスタープロレス天龍源一郎(68)と命を削りあうような真正面からの勝負を展開。当時、長州力(66)が新日本プロレスにUターンして危機を迎えていた全日プロを再興させた。

「輪島さんだからこそ、天龍さんのものすごい顔面攻撃に耐えられたと思う。天龍さんも輪島さんだからあそこまでやったんじゃないかな。『攻める側』と『受ける側』がガッチリ組み合った奇跡的な例ですよね」(和田氏)

 わずか2年でプロレスを引退してからは、一切業界にかかわることはなかった。「俺はまた戻ってくるだろうななんて考えていたけど違った。スパッと身を引いた姿勢は潔かったし、男だった。だけど早いよね。心から追悼の意を表します…」と沈痛な表情を浮かべていた。