2016年の訪れとともにボート界も新時代に突入する。しかし、日本全体が決して忘れてはいけないのが11年に起きた東日本大震災だ――。15年11月、福島出身初の女子ボートレーサーが誕生した。津波で実家が流され、その後にボート選手となった兄を追うようにデビューした寺島美里(26)。柔道一筋の人生から一転し、両親に家をプレゼントするため、福島に恩返しするため、大きな希望を胸に第一歩を踏み出した。

 短髪でボーイッシュ。全身から元気をみなぎらせ、大声を張り上げてピットを走り回る。15年11月22日、福島出身初の女子レーサーとしてデビュー。その数週間前、周囲が耳を疑うような前代未聞の目標を掲げた。

「3年後に賞金女王(クイーンズクライマックス制覇)になる」

 プロとしてまだ一走もしていない新人が「3年後」という明確な期限を定めて女子トップ取りを宣言するのは異例中の異例だ。その真意とは何なのか。

 寺島:自分は細かい計画が苦手で…。突発的に大きな目標をバーンと立てちゃうタイプ。兄には「3年って、バカだろ」って驚かれましたね(笑い)。ただ、もう一つの理由は強くなって福島に貢献したいから。あの東日本大震災の当時、大学生だった自分は本当に無力で何もできなかった。現場に駆けつけることもできなかった。何かをしなきゃって強く思いながらも何もできないまま、やまと学校(レーサー養成所)に合格するまで3年がたちました。その「3年」を埋めるために「3年後」という期限をつけたんです。

 福島県新地町に生まれ、中学から大学まで10年間、柔道一筋。福島県立相馬東高3年のときに東北大会女子48キロ級で優勝し国士舘大に進学した。

 周囲がうらやむ仲のいい兄妹、どこにでもある幸せな家族。順風満帆な大学生活を送っているときに悲劇が襲った。

 11年3月11日の東日本大震災。地震発生当初、高台のホテルに勤務していた父・成信さん、看護師として奥地の病院にいた母・節子さんは津波の難を逃れたが、自宅は土台を残して流されてしまった。東京で寮生活をしていた寺島は電話で悪夢を知った。

 寺島:ずっと電話もメールもつながらず、寮は停電でテレビも見られなかった。ようやく夜11時に母から連絡がきて「父と母は無事。でも家が流された」って…。まさか自分の家が…。思い出の物も全部流されました。(柔道の)賞状とかも。1週間くらい立ち直れなかったです。もう柔道を辞めてボランティアに行こうと思ってたら、母を含めたみんなが「柔道を続けろ。その方が家族のためになる」と言ってくれた。兄も「お金の心配はするな。俺が何とかする」って。家族の支えがあったので、そんな状況でも柔道に打ち込めました。あの震災で家族の結束がむしろ深まった気がしますね。

 震災当初、神奈川でIT関係の会社に勤めていた兄・吉彦さんは一念発起してボートレーサーを志した。長男としての責任と使命感だった。震災から半年後の11年9月、レーサー養成所「やまと学校」に入学して「両親に家をプレゼントする」と決意した。

 一方、寺島は12年3月に国士舘大を卒業し、東京・中野区の中学校で非常勤講師として働いていた。12年11月、ボートレース多摩川での兄のデビュー戦を観戦すると、体に衝撃が走った。

 寺島:こんな世界があるのかって。ボートレースの「ボ」の字も知らなかったですが、水しぶきとエンジン音とスピードの迫力に圧倒されました。もうコレしかない!って思いましたね。それにボートレースは水上の格闘技とも呼ばれているので、なんか柔道にも通ずるものがあるなって感じました。すぐに次の年から受験を始めました。

 3回目の受験で合格し14年9月に入学。1年間の訓練が待っていたが、柔道で鍛えた体力とメンタルで乗り切った。

 15年秋に卒業し、15年11月22日の平和島でデビュー。成績は6→6→5→6→5→6→6だったが、終盤は1周1Mに参加し、道中で競り合うこともでき「やっていけるかも」という自信も生まれた。

 寺島:旋回技術をもっと上げたいですが、私は体力には自信があります。だから新人でも仕事は誰よりも先にやるし、その動きだけは負けません。ボートレーサーは天職だと思っています。兄と力を合わせて両親に新しい家を建て、温泉にも連れていってあげたい。それに、福島の人にボートレースという競技をもっと知ってもらい、少しでも故郷の力になりたいですね。

 現在、ボート界には47組の兄弟レーサーが存在するが、東日本大震災がなければ寺島兄妹は誕生しなかったかもしれない。今後どんな苦境が訪れようと、あの悲劇を経験した彼らはきっと乗り越えられるはずだ。「兄妹対決が楽しみ! 兄を負かしたいです」。屈託のない笑顔には強い決意がにじみ出ていた。

☆てらしま・みさと=1989年10月22日生まれ。福島県出身。小学校では空手を習い、中学から柔道を始めた。福島県立相馬東高3年時に東北大会女子48キロ級で優勝。国士舘大学卒業後、中野第二中学校(東京・中野区)で保健体育の非常勤講師を務める。2014年9月にやまと学校入学。1年後の15年11月の平和島で東京支部117期生としてデビュー。兄・寺島吉彦(30=東京)は111期生。身長151センチ。血液型=A。