ボート界のレジェンド 語り継ぎたい思い出の名勝負

【金子良昭(静岡=50・54期)】(1994年とこなめ、ダービー)

 今回は昨年のマスターズチャンピオン覇者・金子良昭(50=静岡)が登場だ。選手生活31年、7400走すべてに命を懸け、一切の妥協を許さない男。そんな金子のレーサー人生を象徴するレースを紹介する。

 そのレースを表現するなら「金子良昭物語」とでも言おうか。義侠で一本気な生き方が、1分50秒の3周に凝縮されている。ボート界のシステムまで変えてしまった伝説のレースを振り返ろう。

 1994年10月のとこなめSGダービー。当時は29歳、予選トップ通過で優勝戦1号艇を手にし、悲願のSG初制覇に王手をかけた。しかし進入争いで運命を分ける。2号艇・関忠志がインを取りにきたのだ。「あの日だけ8メートルの追い風が吹いたんだ(公式発表は6メートル)。だから、あまり早く舟を向けたくなくて」。深インを嫌った一瞬の判断ミスからインを奪われてしまった。

「もう完全に熱くなってね。意地でもSいってまくってやろうって思った。俺、スイッチが入っちゃうとダメなんだ」

 2コースからコンマ08のトップSを決め、イン関の前を完全に締め切って全速まくり。当然、追い風の分だけ舟は流れた。そこをまくり差した艇王・植木通彦(現やまと学校校長)にバックで並ばれ、1周2MでSG制覇の夢は消えた。さらに運悪く、2着を競った2周2Mで引き波にのまれ、体が完全に水の中へ落ちた。

 だが、ここからがすごかった。腕一本でボートにしがみつき、なんとよじ登って再び走りだしてゴールを切る超人的な根性を見せたが、判定は「落水失格」。当時のルールで賞金はゼロだった。ボートから降りた直後に金子が放った言葉は「同情するならカネをくれ!」だった。

「ビショビショの体で競技本部に行く途中、選手会長の安岐(義晴)さんが声をかけてくれてね。1番人気で売り上げに貢献して賞金ゼロはおかしいって言ってくれて」

 これが引き金となり、96年4月からSG優勝戦の転覆・落水事故には6着の賞金の30%が「敢闘手当」として出される規定に変わった。

「オレのおかげ(笑い)。ただ一つ言うけど、オレは銭カネが欲しくて言ったんじゃない。体制が納得できなかったんだ」

 今に至るまでSGタイトルはないが、一ミリたりとも後悔していない。「あのとき結果にこだわっていたら優勝できて違う人生になったかもしれない。でも、今振り返ると取らなくて良かったと思うよ。取れなかったからここまで頑張れたし、謙虚にもなれたから」

 昨年4月、49歳でGⅠマスターズCを制覇。「年を取って、少しは結果を求めるようになったかな」と言うが、今でもスイッチが入ると熱くなる。「そういう生き方しかできないからね」。口癖のように「オレは下手」というが、悔しさをパワーに変える絶対的な才能がある。21年前の敗戦は多くの財産をもたらした。その一つがマスターズVであることは言うまでもない。

☆かねこ・よしあき=1964年10月29日生まれ。静岡支部の54期生。84年5月の浜名湖でデビュー。同節6走目に初勝利。3か月後の同年8月に初優出、87年3月の浜名湖で初優勝した。92年12月の下関周年でGⅠ初制覇。2014年4月のからつGⅠマスターズCを制覇。通算70V(GⅠ・3V)。身長161センチ。13年11月に息子の金子萌(24)がデビュー。血液型=O。