歴史的快挙の裏に衝撃の事実だ。新日本プロレスの年間最大興行「レッスルキングダム14」(5日、東京ドーム)で、IWGPインターコンチネンタル(IC)王者の内藤哲也(37)が、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(32)とのダブルタイトルマッチを制して史上初の2冠王に輝いた。初めて野望を掲げたのが1年前のこと。悲願成就までは試練と苦難の連続で、プロレスラー人生の岐路にも立たされた。“制御不能男”が直面した引退危機の真相に迫る。

 前夜も王座戦を戦った両雄の激突は、死闘と呼ぶにふさわしい一戦だった。V5戦で飯伏幸太(37)を下してIWGP王者としてメインに立ったオカダと、ジェイ・ホワイト(27)からIC王座を奪取し、東京ドームのメインに帰ってきた内藤。お互いが死力を尽くした戦いは、ついに30分を超えた。

 レインメーカー連発を浴びながらも、内藤は3発目にカウンターのデスティーノを発射。獣神サンダー・ライガーが開発した、自身のかつての必殺技スターダストプレスを解禁して勝負に出た。最後はバレンティア(変型ノーザンライトボム)からのデスティーノで3カウントを奪い「オカダ! 東京ドームのメインでの勝利…ものすごく気持ちいいな。またいつか東京ドームのメインで勝負しようぜ」と呼びかけた。さらに「この2本のベルトとともに前に進みたいと思います」と高らかに宣言した。

 歴史的偉業までの道のりはあまりに険しかった。昨年は2度のIC王座陥落を経験するなど精彩を欠いた。思うような結果と内容を残せず、11月には会場でコメントを発する余裕すらないほど不安を抱えていた。その理由は右目の不調だ。

 最初に異変を感じたのは昨年5月のこと。「ロープが何重にも見えて、相手も見えない。もどかしかったですね。全力でロープに走れないですもん、怖くて。距離感もつかめない。相手と向き合う前に、自分との闘い。プロレスに集中できない状況が続いてたんです」。夏に入ると、リング上でひどいめまいを覚える日もあった。試合の合間を縫い、眼科、耳鼻科、脳神経外科を回ったが、原因は分からなかった。「このままプロレスやんなきゃいけないのかな…これは無理だろうなと。精神的にも試合以外の不安が常につきまとってましたね」と、ついには引退も覚悟したという。

 ようやく判明したのは9月に受けた大学病院での検査。「右目上斜筋麻痺」と診断された。目を内下方に引っ張る筋肉(上斜筋)の動きの悪化により複視(物が二重に見える)を起こすもので、外傷ダメージの蓄積で発症する可能性などが考えられるという。ともあれ選手生命の危機には変わりない。「両目下直筋下斜筋麻痺」が回復せず引退したミラノコレクションA.T.(43)のような身近な先輩もおり「目がダメになると引退はあり得るんだという意識はあって正直、焦りはすっごいありました」。

 過密日程の中でフル出場を続けてきた内藤に唯一といっていいオフがあったのは、昨年の「ワールドタッグリーグ」期間中の11月29日。ドームを見据えるならギリギリの決断だったが、このタイミングしかない日程で極秘手術を受けた。

 12月19日に“復帰”した際には、本紙に「ここ半年の不調、見えなさ具合と比べたら全然見えるので。そりゃ以前より良くなることはないんでしょうが、不安はなくなりました」と口にしていた。その上で「ケガのリスクなんて分かった上で、リングに立ってますからね。僕に限らずみんなそうだと思うし。これからは楽な試合をしていこうなんて、そんなつもりは全くないです。これが俺の生き方ですから」。その言葉通り、ドーム2連戦での内藤は、リング上で命を燃やさんばかりの迫力があった。最後にKENTA(38)の襲撃に遭い、念願の「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」の大合唱はかなわなかった。夢を実現させては試練の繰り返しだが、それを乗り越えてきたからこそ今がある。史上初の東京ドーム2連戦は終わってみれば制御不能男の完全復活。「逆転の内藤哲也」ここにありを示す夜となった。