苦難と挫折を乗り越えた異色王者が誕生した。全日本プロレス29日のエディオンアリーナ大阪第1競技場大会で行われた3冠ヘビー級選手権は、挑戦者のゼウス(36)が王者の宮原健斗(29)を撃破。通算5度目の挑戦(決定戦含む)で第61代王者に輝いた。波瀾万丈の生きざまを貫き、キャリア12年目で王道マットの頂点に立った新王者の知られざる素顔とは――。

 ゼウスが鬼の形相で立ち上がった。狂気すら漂う宮原から合計5発のブラックアウトを叩き込まれた。そして必殺のシャットダウン弾の連打。意識は飛んでいたが本能だけで右ストレートを放つや、最後はラリアートからジャックハマーで29分超えの死闘に終止符。栄光の3冠ベルトを腰に巻くと、人目もはばからず大粒の涙を流した。

 本名・大林賢将(けんしょう)。ルーツは韓国・済州島にある。戦前、夢を抱いた祖父母が船で日本に渡り、大阪・生野区に居を構えた。いわゆる「長屋横丁」で生まれ育ち、父・金谷富成さん(68)がタクシー運転手、母・佳志子さん(65)は保険会社で朝から夜中まで働き、幼年期のゼウスを支えた。

「差別された記憶はない。住んでた場所は同じ境遇の人たちもいたので、差別されようがない。両親のおかげで貧しさも感じなかった。小5の時には長屋から新築の一軒家ですよ。一生、頭が上がりません」

 意外にも教育一家で小学校ではクラスで一番の成績をキープした(兄の哲利さんは京大工学部卒)。授業が終わるとケンカに明け暮れた。プロレスラーに憧れたのは5歳の時。移住者として苦労した祖母は「絶対に誰にも負けるな」が口癖だった。10代で経験したストリートファイトは100戦を超え、高校は1年で中退。激動の人生が始まった。

 ボディービルに熱中するとひたすら体を鍛え上げ、2004年に大阪の大会で優勝。06年11月に大阪プロレスでデビューした。09年にはボクシングに転向して話題を呼ぶも、判定負けで1戦1敗の結果に終わった。

「てんぐになっていた。早々とメイン取らしていただいて『俺、何でもできんぞ!』と。でも勝てずにとんでもない重荷を背負ってプロレスに戻った。プロレスの神様に怒られたんだと思います」

 7年前の3月11日、日本に帰化した。しかし人生最高の日に、未曽有の災害が日本を襲う。帰化申請が認可された日に東日本大震災が発生したのだ。「言葉を失った。すぐにトラック1台分の支援物資を用意して募金活動もした。一生忘れられない日になった…」

 全日プロには15年に正式入団。今年4月の「チャンピオン・カーニバル」大阪2連戦では丸藤正道(38)、秋山準(48)を連破する大殊勲の星を挙げ「本物のプロレスラーになれた瞬間やと思います」と振り返った。

 早くも8月26日千葉・キッコーマンアリーナ(流山)大会で石川修司(42)と初防衛戦を行うことが決定。「全身全霊で戦い抜いていく」。座右の銘は「人生は祭り」。喧騒と興奮、挫折と栄光――王道の象徴でもある「カーニバル」という言葉が内包する全てを背負い、新王者は疾走を続ける。