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佐良直美が30年前のレズ騒動を語る


 デビュー曲「世界は二人のために」(1967年)が120万枚を売る大ヒット、歌手としても女優としても活躍した佐良直美(65)が、実に27年ぶりのシングル「いのちの木陰」(ビクター=11月24日発売)をレコーディングした。87年を境に芸能界から遠ざかった佐良は栃木県内で犬のしつけ施設・AFCを経営し、成功している。今回、復帰を決意した真意とは? そもそも芸能活動停止の理由は? そしてあの“レズ騒動”の真相を30年の月日を経て明かす——。

——今回、CDを出すことになった経緯は 
佐良:今年のお正月に旧知の人たちと集まった時、綾戸智恵さんのモノマネをしながら歌ってたら、菊やん(注1)にしつこく「また歌わないとダメだ」と説得されましてね。前にも言われたけど、今回は特にしつこくて、根負けして「渋谷毅先生が曲書いてくれるなら」と答えたんです。渋谷先生は亡くなったと思ってて、これであきらめると考えたんだけど、まだご存命だった…。しくじりました(笑い)。 

——なぜ拒否を 
佐良:恥ずかしいんですよ。私、昔からシャイで、小さい時は動物と一緒じゃないと普通に写真が撮れなかった。(現役時代も)ステージでは目一杯やるけど、お化粧落として素に戻ると、人に会うのが恥ずかしくて、車のトランクに隠れたこともあるぐらい。今回も名前を出すのが恥ずかしいから、犬の名前から取った「マギー・キム」名義でインディーズで出そうとしたんです。 

——それがなぜ大手に 
佐良:石井ふく子先生に相談したら「佐良直美名義でメジャーから出しなさい」と。私の辞書に石井先生への「NO」はありません(笑い)。 

——これは「本格復帰」と考えてよいのか 
佐良:いえ、やってもあと1〜2回でしょう。それで体力の限界。冬眠します(笑い)。今の私には150匹の犬や猫がいます。寿命が短い動物には人間の1日が4〜5日に相当する。だからできるだけ一緒にいてあげたいんです。 

——コンサートは 
佐良:結構です。人がたくさんいて恥ずかしいですから(笑い)。 

——芸能界への未練は 
佐良:全くありません。 

——そもそも恥ずかしがり屋なのになぜ歌手に 
佐良:本当はフジテレビで音楽番組のディレクターをやりたかったんですよ。それで日本大学芸術学部に進学し、在学中から「番組で使われる身を経験しよう」と日航ミュージックサロンなどで歌ってたんですね。でも私が卒業する年、フジは女性Dを募集してなかった。一方で歌の方ではスカウトが来ていて、いずみたく先生(注2)とビクターの小沢ディレクターが認めてくれたことから、あのデビュー曲を歌うことになったんです。 

——そのデビュー曲「世界は二人のために」がいきなり大ヒット。かなり多忙だったのでは 
佐良:デビューから半年間は休みゼロ。睡眠時間は毎日2〜3時間。最後はさすがにぶっ倒れました。レコード大賞を頂いた頃は、1か月に仕事が80本ということも。 

——ドラマにも出演し人気絶頂だった中、80年にあの騒動(注3)が 
佐良:レズ騒動ですか。あれは何がなんだか全然わかりません。ビックリするだけでした。ただ、どの社会にも裏表や力関係がある、そういうことなんでしょうね。

——というと 
佐良:しょうがないです。事務所を独立した後でしたし、やっぱり弱い者は強い者にのまれるんでしょうね。 

——人気をねたまれたのか 
佐良:そうじゃなくて、人身御供も必要ということです。1人いけにえに出せばほかは助かるとか、こっちに溶岩を流す口を作れば、こっちの村は助かる…。そういうことだと、私は聞きました。 

——騒動の裏で助かった人がいた!? ウソだったということか 
佐良:そうです。まるっきりウソでした。もちろん(キャッシーは)一時同じ事務所にいたから知ってましたよ。結局、大きいものにのまれたということですね。

——最初に報じた梨元勝リポーターが先日、亡くなった。週刊誌に佐良さんの「お気の毒に」という言葉が出ていたが 
佐良:確かに言いました。入院したことはテレビで知りまして…。お会いしたかったですね。昔話なんかをいろいろとしたり、梨元流解釈とかあるじゃないですか。直接伺ってみたかったですね。 

——怒っていない 
佐良:当時は頭にきてましたよ、それはね。でもそんなこと引きずって何になりますか。あの方はあれが仕事なんです。お会いしてお話ししたかったですね。でもこういうこと言ってて、化けて出て来られたら怖いですが(笑い)。 

——あの騒動が芸能界から身を引くきっかけか 
佐良:それは全く違います。あの後も仕事はありましたから。理由の一つは師と仰いだ水島早苗先生(注4)が亡くなり、自分の歌い方が正しいのかわからなくなってしまったことです。私にとってジャズを歌う時の羅針盤のような方だったから。全員「ダメ」でも、水島先生が「OK」なら満足でしたし、ほかの人に褒められても物足りなくなってしまった。 

——ほかの理由は 
佐良:86年にその水島先生にささげたジャズのアルバム(カセットテープのみで発売)を出し、これで燃え尽きて、歌への情熱がなくなってしまった。歌手としてどうしても出したかったから、もう何も思い残すことはないという気持ちに。そして87年に声帯ポリープで手術し、1年は歌えなくなった。その頃、家の会社(巴工業)を手伝うことになりましてね。9時〜5時で働いて、夜に歌なんて、眠くなっちゃって(笑い)。歌うにはのどや体の状態に神経を使わなきゃいけないけど、会社とAFCがあって、そういうわけにも…。 

——自然に歌から離れたと…。会社は 
佐良:定期を買って、月〜金で通勤してました。18年間ね。途中からこっちでAFCを始めたので、最後の方は毎日は行けなかったですが。 

——現在は犬のしつけの第一人者。最後に愛犬家に伝えたいことを 
佐良:年を取られてからは、大型犬は飼わないでくださいね。老々介護になって大変です。それから動物は必ず飼い主に何かを教えてくれます。そういう気持ちで犬や猫に接してください。

<さがら・なおみ>1945年1月10日生まれ。東京都出身。16歳から水島早苗氏に師事しジャズを学ぶ。67年のデビュー曲「世界は二人のために」でレコード大賞新人賞、69年の「いいじゃないの幸せならば」でレコード大賞を受賞。新曲「いのちの木陰」は27年ぶりのシングル曲。英語版は「マギー・キム」名義。祖父が始めた巴工業の筆頭株主。栃木県那須塩原市で犬のしつけ施設・アニマルファンスィアーズクラブ(AFC)を経営。

【注1】オフィスキクチ・菊地敏一社長の証言「モノマネといっても素晴らしく、感動して涙が出ました。あそこまで歌えるなら絶対に歌わせないとダメだと、説得を重ねて1月10日頃にOKをもらいました」
【注2】1930〜92年。作曲家。佐良が歌った「世界は——」「いいじゃないの——」のほか「見上げてごらん夜の星を」「太陽がくれた季節」などの名曲を手がけた。
【注3】80年にお笑いタレント・キャッシーが梨元リポーターに「佐良とレズ関係だ」と話したことから騒動に発展。後にキャッシーが佐良に謝罪の手紙を書き収束。当時、佐良は全面否定していた。
【注4】1909〜78年。日本の女性ジャズボーカリストの草分け。テレビ映画「悪魔くん」(66年=NET系)のオープニングで「エロイムエッサイム〜」と不気味な呪文の声を担当していたことでも知られる。

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