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プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
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藤森美恵子さんを悼む
2017年02月16日

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 日本スケート連盟や国際スケート連盟(ISU)のホームページにも見当たらないが、「J SPORTSフィギュア」の公式ツイッターに追悼文が載っていた。

 

 「J SPORTSのフィギュアスケート中継は、藤森さんと一緒に築いてきたといっても過言ではないでしょう。藤森美恵子さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます」

 

 フィギュアスケートを取材した記者の多くがその解説に助けられたであろう、元国際審判員で選手としても活躍した藤森さんが14日、脳梗塞のため77歳で死去した。平昌五輪1年前にプレ大会として開催される四大陸選手権の開幕が迫る中での訃報だった。

 

 筆者が最後にフィギュアスケートを取材したのは浅田真央が優勝した2008年のNHK杯東京大会。記者会見はほったらかして藤森さんのコメントを取ろうと思い関係者用の出入り口で探し回ったが見つけられず、空振り。藤森さんの存在を知ったのはアルベールビル五輪の前年に同五輪会場で開催された91年秋のラリック・トロフィー(現フランス杯)だったと思うが、ジャッジの視点や心情、技術解説までコメントは分かりやすく、それでいて鋭く突き刺すような“毒”もあった。

 

 当たりさわりのない感想に終始せず、ポイントを明確に指摘してくれたので、スポーツ紙の記者にとってはありがたい存在。94年リレハンメル五輪当時、選手の演技がすべて終わると、やはり「藤森さん探し」に走る記者が何人かいたことを思い出す。ネット上の書き込みを見ると、J SPORTSの放送では、「胸のすくような解説」との感想や、杉田秀男氏ともども「神解説」との賛辞も寄せられていた。現場で話を聞いた経験からして、推して知るべしの評判だと言える。

 

 J SPORTSのサイトなどによると、藤森さんはフィギュアスケーターとして1960年代にアイスダンスとペアで活躍し、引退後はISUジャッジを10年バンクーバー五輪ごろまで長らく務めた。この間、02年ソルトレークシティー五輪での審判員の不正問題により採点方法は激変。日本国内では連盟会長らの金銭スキャンダルでフィギュア部門が傷を受けた。

 

 フィギュアスケートへの注目が現在ほどなかった時代から、激動期を行きぬいた藤森さん。平昌五輪まであと1年を切ったばかりだった。



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