スポーツから社会ネタまで、中古・新品まざりあった話題のフリーマーケット
プロフィール
渡辺学
1986年入社。ゴルフ担当を経て89年からテニス、ラグビー、アメリカンフットボール、アマチュアレスリング、陸上、水泳、サッカーなどの取材に携わった。五輪は夏季2回、冬季3回を現地取材。2001年に運動部デスク、06年から文化部で社会面デスクを担当後、専門委員などを経て現在法務広報室長。早大卒。
最新記事
カレンダー
2017年1月
« 12月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

Archives

木之本さんの決まり問いかけ
2017年01月17日

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 うっ血性心不全のため15日、68歳で死去したことが16日に明らかになった元Jリーグ専務理事・木之本興三さんが、サッカー記者にしばしば投げかける質問があった。

 

 「レフェリーのユニホームが黒色なのはどうしてか、知っている?」

 

 答えは「燕尾服に由来するから」。昔のことで理由は明瞭に覚えていないが、審判はピッチにおける神聖な存在であり、選手たちは十分に敬意を払わなければいけないといった趣旨だったと記憶している。

 

 「走りながら考える」(当時の川淵三郎チェアマン)Jリーグが1993年にスタートした当時、メディアも初のプロサッカーリーグに対して似たような状況にあった。異様な人気を受けて、現在ならささいなことでも大きく報じた。判定がらみのイザコザもその大きなニュース源で、選手やクラブ側から発せられる不満の声を受けてJリーグ事務局などで当時幹部だった木之本さんにも見解を尋ねると、冒頭の問いかけが逆に向けられてきた。

 

 いまや東京・文京区に“自社ビル”を構える日本サッカー協会が、他の競技団体と肩を並べて渋谷の岸記念体育会館の狭い一室に事務局を構えていた93年以前の時代、そこから離れたJR御茶ノ水駅に近い神田小川町の日本リーグ事務局でJリーグ創設への胎動がうねりを生じていた。日本サッカー改革の情熱に燃えた人々が議論をかわし、プロリーグへの歩みを進めた。発信力のある川淵氏が表の看板とすれば、スポットライトを浴びないところで構想を練っていた人々の代表格が木之本さんではなかったか。

 

 筆者の取材はJリーグ発足当初のみだが、メディアに丁重に対応し、原則論を中心に語っていたような記憶がある。「燕尾服」の話を聞いた取材者は少なくないだろう。2013年に刊行された著書「日本サッカーに捧げた両足 真実のJリーグ創世記」に書かれている闘病歴はすさまじい。透析5000回に左右の足や指の切断…。切断した右足の“行方”を夫人に尋ねたところ、「火葬場に持って行って焼いてもらったわよ」との返答。生前に「火葬」を経験した人はどれぐらいいるのだろうか。



ネタになる!!
東スポらしい!
えー!?異議あり!!
ブーイング




東スポ動画
「ミス東スポ2017」グランプリ決定
注目コンテンツ
ビートたけし本紙客員編集長が審査委員長の独自の映画賞!

日本マット界の隆盛、発展を祈念し、東スポが制定したプロレス大賞です。

開催3場の全36レース(2場開催の場合は全24レース)の馬柱を完全掲載!