シリーズ累計650万本を突破したアクションゲーム「龍が如く0 誓いの場所」(セガ)がいよいよ今日12日に発売された。舞台はバブル景気に沸く1988年。拝金主義ばかりが取りざたされた当時だが、実際どのような時代だったのだろうか。そこで今回、バブル時代をよく知り、最新作で東日本最大の極道組織「堂島組若頭補佐・渋澤組」渋澤啓司役として出演している、俳優の中野英雄(50)にインタビューした。中野が明かした“リアル龍が如く”とは——。

 ——1988年当時、中野さんは24歳でした。まずは当時のことからお聞かせください

「たしかに世の中羽振りが良かった感じはありましたね。フジテレビのトレンディードラマがもてはやされましたし、ジュリアナ東京もありました。しばらく不動産屋でアルバイトしていたんで、世の中の金回りの良さは感じていましたよ」

 ——中野さんも実入りがよかった

「いやいや。僕が食えるようになったのは92年のフジドラマ『愛という名のもとに』でチョロ役として出演してからです。それまでは全然。柳葉敏郎さんの運転手兼マネジャーだったんですが、現場に送るとお金をもらえるんですよ。収入は月7万円ぐらいかな。時代はバブルなのに、生活は楽ではありませんでした」

 ——周りの金遣いは

「哀川翔さんは収入以上使ってしまう。いきなり車買ったりとか。ブランド物を大人買いするとか。それを上回るのが竹内力さん。『ミナミの帝王』が当たって、大阪・新地のクラブに行くと全員分払うほど豪快でしたよ。まあ僕はお酒飲めないので、あまりクラブは行きませんでしたが」

 ——では、どんな遊びをしていた

「競馬、女、ケンカ(笑い)」

 ——ケンカの話を聞かせてください

「もともと翔さんも最初はケンカで知り合いましたからね。中学のころから僕は頭をパンチパーマにして、日々ケンカに明け暮れる暴走族だったんです。新宿あたりにもよくたむろっていました。で、たまたま翔さんが僕らの前を通ったとき、彼の髪形が油でベトベトしていたから『汚ねえ頭』とからかったんですよ。そしたら『あ?』と因縁つけられて、バチーン!と頭突きされたんです。その一発で僕はノックアウト」

 ——それ以来、仲良くなった

「はい。もう悔しくてね。だんだん顔見知りになっていったんです。翔さんも面倒見のいい男で、東中野のボロアパートに僕らを呼んでサンマを焼いたりしてくれました。年も3歳上だったので、かわいい弟分だったのでしょう」

 ——仕返しはしなかった

「またやられたら、みっともないじゃないですか(笑い)」

アクションゲーム「龍が如く0 誓いの場所」(提供=SEGA)
アクションゲーム「龍が如く0 誓いの場所」(提供=SEGA)

 ——一世風靡セピアのメンバーはケンカざんまいだった

「まあ、血気盛んでしたからね。僕が六本木に呼ばれるときは、ディスコに行くからじゃありません。ケンカを止めなきゃいけないか、加勢に行くかしかありませんでしたから」

 ——柳葉さんと哀川さんもケンカした

「あの2人が一番バッチバチにやりあったと思いますよ」

 ——一番すさまじかったのは

「今では笑い話なんですが、原宿のど真ん中で彼らがやりあったことがありました。2人が同時に殴ろうとした瞬間、『オレ、止めなきゃ』と間に入ったんですよ。そしたら、2人のパンチが同時にオレの頭に入って、ぶっ倒れたことがあります(笑い)」

 ——マンガのようなタイミング

「ネタじゃないですよ。オレが『痛え、痛え』って路上でのたうち回っているとき、駐輪していた自転車を倒しながら歩くフラフラの柳葉が見えました(笑い)。翔さんの姿はもうなかったかな」

 ——リアル“龍が如く”ですね

「そういう時代があったということですね」

 ——現在、芸能界で最もケンカが強いのは

「それは俳優の本宮泰風(もとみや・やすかぜ)クンですかね。強さはガチでヤバイ。身長185センチと体格もあるうえ格闘技経験もある。顔もおっかない(笑い)。格闘家の船木誠勝さんと1度手合わせしたんですが、なかなかいい勝負だったらしいですよ。本宮クンこそ『龍が如く』のキャラクターにふさわしいでしょう」

 ——今回ご出演されたゲームの中で中野さんも強いキャラクターです

「そうですね。なかなか怖いキャラクターになりました(笑い)。マイク1本の声だけの出演は難しかったですけど、俳優としてしっかり渋澤という男を演じさせていただきました。CGもリアルに仕上がっているので、なかなかの迫力が出たのではないでしょうか。バブル時代に思いをはせながら、ぜひ『龍が如く0 誓いの場所』をお楽しみいただければと思います」

【撮影協力】「ROAR TOKYO」東京都新宿区歌舞伎町2—10—5G1ビル2F TEL03・6265・9552

☆なかの・ひでお=1964年12月22日、京都府生まれ。中学時代から暴走族だったが、哀川翔に誘われる形で、一世風靡セピアの母体となる「劇男一世風靡」に加入。92年フジテレビドラマ「愛という名のもとに」のチョロ役でブレークし、その後、映画、ドラマなどで活躍する。